venerdì, maggio 07, 2010

BUQUÊ DE CACTUS

ローマ 日記1950
おとなだって? いや、とんでもない、
熟すことのない存在として、 いつまでも
青いままで、
日々のきらめきからきらめきへ ー
ぼくが信じているのは、ただ、
ひとすじにつづくうっとりする神秘だけ。
ね、だからぼくは、幸福に
身をまかせたことはない、だから、
たとえ罪の悩みのなかでも、
ほんとうに悔いにとらわれたこともない。
ぼくがぼくである、その根源の
表しえぬものと、ひたすら見合ったままで。
(ピエル•パオロ•パゾリーニ)

E É O QUE EMPUNHO, EU QUE SEMPRE ENXERGUEI DOÇURA NESSA ARIDEZ, A DESPEITO DAS OBSERVAÇÕES PRETENSAMENTE BEATAS DA DOUTORRA - PARA QUEM UNICAMENTE AS HORTÊNSIAS E AS ORQUÍDEAS VALEM O ENCANTO.

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CI SIAMO QUATTRO. E LEGGIAMO ASSOLUTAMENTE TUTTO. DOPO TRE O QUATTRO MESI. E CINQUE O SEI BICCHIERI. DI VELENO.